「神への愛と隣り人への愛はひとつ」
 
                                          牧師 亀井 周二

「渡邊禎雄氏の版画による聖書メッセージA」

<渡邊禎雄氏の版画について>

野田教会には礼拝堂、廊下、玄関、牧師室などに渡邊禎雄氏の版画が飾ってあり、教会の暦に合わせて作品が変わっていきます。これは牧師の私、亀井周二が個人的に収集した作品ですが、私個人だけでなく、教会員また教会に来られる皆さんに鑑賞して頂きたいと思って飾ってあります。

 これから、このホームページを通して教会で飾ったことのある渡邊禎雄氏の版画を紹介しながら、その版画の背後にある作者、渡邊氏の信仰又、聖書のメッセージについて分かりやすくお話ししたいと思っています。

「渡邊禎雄氏の版画による聖書メッセージA」

「神への愛と隣り人への愛はひとつ」                 牧師 亀井 周二
 
<聖書>

 ヨハネによる福音書 19章 25〜27節 
25 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
26 イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
27 それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

<十字架の上から>

  この版画の場面は、言うまでもなくイエス様が十字架にお掛かりになった場面です。イエス様の十字架のもとで、手を合わせながら悲しそうに十字架上のイエス様を見つめている左右の女性と男性は誰なのでしょうか。
 以前、渡邊先生のお宅を訪問した時に、それが先生だったか奥様だったか記憶は定かではありませんが、確か左はイエス様の母マリア、右はイエス様の愛弟子ヨハネだと言われました。とするならば、正にヨハネ福音書19章25節以下の場面です。

 何の罪もない神のひとり子、イエス・キリストの死、それは全ての人の罪を身に受け、贖いとなるためです。ここでイエス様は全人類の罪を一身に受け、苦しまれています。そして、その真っ只中で、十字架を見つめ胸が張り裂けそうな悲しみの中に残される母マリアを思い「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。 それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。(19:26〜27)」


 ここに、血のつながりでない信仰のつながりからの新しい家族関係が生まれたのです。

<信仰と血のつながりについて>
 かつてイエス様は、信仰において血のつながりを否定するようにも思える言葉を母マリアと兄弟たちに語りました。マタイ伝12:46〜50を見て下さい。

『46 イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。
47 そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。
48 しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」
49 そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
50 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」』


 ここでイエス様は一見、血のつながりよりも信仰のつながりの方が大切だ、と言われているように思えます。このイエス様の言葉を聞いた母マリアと兄弟たちはきっと寂しい思いをしたのだろうと思います。母マリアは「私の子、長男、イエスはもう私から遠く離れた世界に行ってしまった。」と思ったでしょう。

 私はこの箇所を読むと、つい自分が親の反対を押し切って神学校に入った時のことを思い出します。

<私の神学校入学>

 私が、神学校に入学して牧師になりたいとの思いを実家に知らせると、早速、故郷の名古屋に呼び戻されました。そこでは家族いや親族会議が叔父の家で開かれ、父は「亀井家は代々、仏教の曹洞宗の檀家だ。耶蘇教などにかぶれて、このタワケ!」と言い、叔父は「周二君、君はまだ若い。決めるのは早すぎる。」と言いました。次にいとこ達が次々と説得をし、最後に母が「周二や、周二の信じるイエス様は『あなたの隣人を自分のように愛しなさい。』と行ったと聞いているが、周二にとって隣人は誰なんだい。周二の隣人であるお父さんやお母さん、まわりの人をこんなに心配させ、悲しませてまでしても神学校に入って、人々に隣人を愛しなさいと勧める牧師になりたいと言うんかね。」と涙を流しながら私を説得しました。
 この厳しい問いに私は何も答えることが出来ず、二時間ただ泣いていたことを今でもはっきりと思い出します。結局、最後に叔父が「もうあかん。これはほっとくしかない。」と私は亀井家から勘当され、家からの援助が全くない形で神学校に入ることになったのです。
 ここで、私にとっての血のつながりは切られました。母はこの後、父から「なんで俺に内緒で教会に行くことを許した。」と厳しく非難され、三日間寝込んでしまったと兄からの電話で知りました。  家族への愛と神様への愛、血のつながりと信仰とは二者択一なのでしょうか。確かにその後、2,3年間はお互いに悲しい思いをしました。

<血のつながりについて>

 血のつながり、家族の愛とは何でしょうか。それはとても強いものです。そして美しいものです。特に母の子に対する愛は。しかし、そこには強いが故の狭さもあるのではないでしょうか。「自分の思い通りに育って欲しい」という思いが、親と子は別々の人格的存在であることを、別々の思いがあることを忘れさせてしまうのです。
 長年、幼稚園の園長をしてきて『今日はバレエ、明日は英語、次はピアノ、次は公文』と、親の思いを押しつけ、幼児期に一番大切な自由に遊ぶことの楽しさを奪ってしまっている、こどもは無気力で、こどもらしさがなくなってしまっている姿を度々見てきました。
 私たちの愛は親子においても、夫婦においても「自分の思った通りに動いて欲しい」という自己中心性、狭さを持っています。この自己中心性、狭さ、愛の押しつけから解放されないと、両者が自由でありつつ人格的存在として互いに尊重し合い、共に幸せに生きて行くことは出来ないように思われます。
 再び、聖書に戻りたいと思います。イエス様はマタイ伝12:50で「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」と言われた時、母マリアと兄弟達はきっと寂しい思いでナザレの村に帰ったことでしょう。イエス様は、ここでナザレの村の大工の長男として家を継ぐことを捨てメシア・救い主としての公生涯を歩まれて行きます。しかし、神への愛と隣人への愛は決して二者択一ではありません。

<再び十字架へ>

 再び、最初の十字架の場面に戻りましょう。多くの人は自分が苦しみの中にある時、他人のことを考える余裕はありません。何とかして自分の苦しみを軽くすることをまず考えます。その苦しみが大きければ、たとえすぐ横にいる愛する家族のことでも考えられなくなるでしょう。
しかし、ここでイエス様は神様のみ旨に従い、全人類の罪を身に受け贖うためのメシアとしての死の苦しみを味わう只中で、一人の息子として悲しみの中に残される母マリアのことを考え、血のつながりを超えた、信仰による新しい親子関係、家族関係を示されるのです。イエス様の広く大きく、そして細やかな愛の両面が示されるのです。ここに、神への愛、信仰と隣人への愛、家族への愛への一致を見ます。私たちが隣人、家族に対して真実な愛を求めていくならば、一時的に対立することはあっても、いつか必ず一つとなることが出来るのです。

<愛はつながる>

 再び私事に戻りますが、私と家族、特に父と母との関係は徐々に回復されて行きました。こんな面白いことがありました。神学校に入り、数年ぶりに実家に帰った時、母が「毎月お経をあげに来る久松寺の若い僧侶に周二の話をしたら『お母さん、それは良いことです。息子さんは普通の仕事より良い道を選ばれましたよ。』と言われたの。」と嬉しそうに話してくれました。毎月、若い僧侶と私のことを話すのが楽しみのようでした。又、兄と弟のお嫁さん達から「実家に行ってもお母さんは周二さんのことばっかり。私たちのダンナの話はあんまりしなくて、私たち周二さんに少し嫉妬してるんだから」と笑いながら話してくれました。

 多分、母は兄も弟も近くで暮らしているので、唯一人物理的にも精神的にも遠い所で生活している次男のことが気になっていたのでしょう。私のことを「耶蘇教にかぶれてしまって」と強く反対し「亀井家の人間ではない。出て行け!」と言った父も富山の教会に赴任していた時、孫に会いたさもあって家族と揃って遊びに来てくれました。そして死の直前、誰もいない病室でほぼ半日二人だけで過ごした時、半分意識がない中で「周二だよ、分かる?分かったら手を握り返してくれる?」と言った時、強くではなかったけれど確かに握り返してくれました。
 
 言葉は何も返ってきませんでしたが、父の手を握りながら、神様が父との和解の時を与えて下さったことを実感しました。そして、父の死後まるで後を追うように母も半年後に共に78才で亡くなり、「生きてる時は結構ケンカもしてたのに最後は仲良すぎるよな。」というのが兄弟の共通見解でした。

 神学校入学当時は、もう父、母、兄弟たちとは会えないのでは、とまで考えていました。あの時、今までの血のつながり、自然的親子関係は切れました。しかし、そのことによってお互いが別々の人格であり、自分の思った通りに相手は聞いてくれないこと、動いてくれないことを知りました。それは両親も、私も。

 そして私は信仰を持つ中で、神の愛の中で、両親について、たとえ牧師への道を反対はしたけれどそれは私への愛、心配から出たことであったものとして受け止め、受容することが出来ました。父も母も私が自分たちの知らない世界に行ってしまって戸惑ったけれども、結局は私の進んだ道を認めてくれていたのだと思います。あの神学校入学の時の断絶は共につらかったですが、両者を成長させてくれたのだと、いや神様が両者をより深い家族愛へと導いて下さったのだと思います。

 最後に、コロサイの信徒への手紙3:13〜14を見て下さい。
「13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」

 真実を求めていくならば、神様はそれぞれの愛をその自己中心性から解き放ち、浄め、完成へと導いて下さることを、自分の体験から知ったのです。神への愛と隣人への愛は一時的には対立することがあっても、最後には神への愛の中で隣人への愛、家族への愛も一つとされるのです